お仕事のからみで長浜市木之本町木之本地区の調査をさせていただきました
ちょうど調査対象地域は「きのもと交遊館」に近い、北国街道沿いの宿場町跡にありましたので折角の機会と思い簡単に本業+α?の調査をさせていただきました
左手の白い建物が「きのもと交遊館」です 元々は滋賀銀行木之本支店だった建物です 現在道路の中心部には融雪装置が見られますが、昭和初期までは街道の中心部には立派な水路が流れていました
ちなみに、この写真は北国街道を南から北にむけて撮った写真で、左の奥の方には「サラダパン」で全国的に有名になったつるやパンさんのお店があります
きのもと交遊館内の展示写真です
北国街道の真ん中に水路が走っている形態がよくわかります
上の現況写真と見比べてみると法学も一致しておりますので理解いただきけるかと思います
交遊館のガイドさんに水路の用途についてお聞きしましたら「頻発する火事の消火の際の水に使った」とのことでしたが、豊富な水が木之本にはありましたので、そのありあまる水の排水路が必要であったことが当初の起こりで、その後江戸時代になり町も規模を拡大したことから消火・防火のためだけではなく広く生活用水にと整備され、使われてきたのではないかと私個人としては推定します
きのもと交遊館内には往時の景観を復元したジオラマまであります 昭和初期までこうした景観が続いていました 柳の木の位置もちゃんと復元されていますね
少しわかりづらいと思いますが、「きのもと交遊館」周辺の公図です 赤線と赤線の間に青線があります 要は「道+水路+道」の形態がちゃんと公図に残っている、ということですね
さらに古写真を見ると道路の外側にはそれぞれ側溝も見られますがそれは公図上は確認できません
北国街道木之本宿周辺のこうした道路形態は全国的に見て珍しいものかどうかわかりませんが、滋賀県内においてはあまり類例は無いように思います
木之本は今日においてもなお造り酒屋・醤油醸造業も数軒営業しているような土地柄ですので水資源は豊富です 現実にはもう水路はないわけですが公図(地籍図)には豊富な水と人との関係性を物語る痕跡として残っているわけで、長く地域の方々の記憶にとどめていただきたいものと感じた次第です