唐突ですが「復元」か「復原」、皆さんはどっち派ですか?
土地の境界線や境界標を測量して明示することを通常「復元」する、といいます
土地家屋調査士や測量業界の業界用語としては常識の部類でしょうね
ただ歴史的な建造物や遺跡などをもとの形状にもどす際にはマスコミではよく「復原」の方を使っていることがありますよね 「歴史的景観を復原した」などと表記されていたりします
では、「復元」と「復原」、何が違うのでしょうか?
実は日本語の理解としてはどちらも正解のようです
しかし、滋賀県土地家屋調査士会で二年前に開催いたしました「連続講座」のなかで同じような議論がありました その後、特に気に留めることもなく過ごしてきましたが、上記写真の本「復原・江戸の町」を拝読しましたところ「復原と復元」、という一節があり、大変興味深く思いましたのでご紹介させていただきたいと思います
著者の波多野純先生(工学博士)は江戸東京博物館などの復原模型を作成された復原設計の第一人者です カバー写真も両国橋西詰の精巧な模型です 往時の町人の息遣いまでもが聞こえてきそうな精密さですが、作業では発掘調査はもとより古文書や絵画資料、沽券図(地籍図)等を実際に読み解き推理して、三次元で復原されているようです
また同書には「地籍図に刻まれた歴史」という節もあり、大変参考になりました ただあくまで一般向けの読み物ですので、気軽に読めますからご興味のある方は是非ご一読ください
では、以下同書より引用です
「ふくげん」を辞書で引くと、「復元・復原 もとにかえすこと。もとの位置・形態にもどすこと。『古代住居の―』『環境の―』」(広辞苑)とある。台風で飛んでしまったお寺の屋根をもとのように修理するのも復原なら、誰も見たことのない竪穴式住居の姿を想像して造るのも復原らしい。竪穴式住居は、全国の遺跡公園などで日常的に見かけるので、数千年前からそこに建っていたように錯覚することがあるが、あれは地面から見つかる柱の抜き取り穴などの発掘成果と、埴輪や家屋文鏡、さらに江戸時代の文献資料などから検討した研究成果が展示されているのである。復原には、昨日まであった姿をもとにもどすものから、数千年の時空を超えて誰も見たことのない世界をよみがえらせるものまで多様な幅が存在する。
これだけの例からすれば、お寺の屋根の復原は正確であり、竪穴式住居の復原は確実性に欠けることになる。ところが、一概にそうはいえない。偶然屋根が飛んだので瓦の下を見たら、昔は瓦葺ではなく茅葺であったことがわかった。さらに小屋組、つまり屋根を支えている木組みの構造を調べてみたら、屋根の形も違うことが分かった。こうなると、昨日の姿に戻すことが、最も正確な答え(復原)だと言えなくなる。
つぎに、復元と復原、どちらを使うのが正しいのだろう。『朝日新聞の用語の手引き』を引いてみると、「復元」に統一している。ところが専門家の世界では、使い分けているらしい。
部材が遺っているようなものを復原、想像で造るものを復元。あるいは、根拠に信頼性があるものを復原、おおよその程度を復元、とも聞いたことがある。どうも、復元の方が格が上のようである。もっともこの解釈の違いなど、世の中の人々にとってはどうでもよい、典型的な業界用語である。
本書では「復原」を使うことにする。正確さに向けて努力したか、あるいは努力しているかの決意表明と受け止めていただきたい。ただし、正確さ、言い換えれば史実に忠実であるとは、一義的に定まるものではない。「模型に火をつけてみよう」と書いたように、目的との対応関係で決まると同時に、現代の価値観あるいは私自身の歴史観の反映でもある。
波多野純『復原・江戸の町』第一章復原設計とは何か より
さすが、一流の技術者のこだわりを文面からも感じます 「典型的な業界用語」、としつつも私の復原は「復原」なんですよ、というプライドが垣間見えますね
では、土地家屋調査士に置き換えるとどうでしょうか?
私見ですが「境界(私法上の境界)は復元」するもの、「筆界(公法上の境界)は復原」するものと、使い分けてみるのはいかがでしょうか?要は、土地家屋調査士の境界「復原」は、測量士や建築士のそれ(復元)とは違うのですよ、ということです 土地家屋調査士の復原は知識や技能に裏付けられた最も正確な答えなんですよ、というプライドの現われです(いやいや、「復元」でお茶を濁しておきましょう、というのはとりあえずなしで…)
こうして用語も厳密に使い分けた方が境界の専門家である土地家屋調査士としての矜持が感じられますし、ついでに何かと理解されにくい土地家屋調査士の仕事をアピールできるきっかけにもなる思います
そうなると例えば私も任命されている法務局筆界調査委員の境界復元は境界「復原」と表現すべきなのでしょうね
境界は「復元」、筆界は「復原」。これからはこの使い分けで、どうでしょうか?