平成30年3月31日は午前中、「平成29年度国立歴史民俗博物館奨励研究集会」という長い名称の集会に参加させていただいてきました。
テーマは「GISによる近世・近代の都市空間変遷の分析 堺大絵図と大阪市航空写真との比較における研究進捗状況と研究結果報告」というこれまた長いものでした。他に一般参加者向けのサブタイトルで「絵図と空中写真で見る堺の昔と今 江戸・明治・大正・昭和・平成」とありましたが、こちらの方がしっくりするような気もしました。
研究報告については松本裕行さん(大阪市立大学研究員)からお話があり、興味深く拝聴しました。ご報告は「総合資料学」の解説から始まりましたが、多様な切り口、史資料の多様な分析で新たな学問領域を創り出す試みということで、今年3月の立命館大学にて行われました「GISDAY in関西」においても同じような趣旨のご説明があったようにも思いましたが、大変勉強になりました。
報告内容は主に航空写真をGISにのせて、「元禄二年堺大絵図」当時から現代にいたる堺市の変化を重ね図を利用して詳細に分析する、といったものでした。ただ明治期については航空写真がないこともあり、その点は少し内容的に乏しいように思いました。手前味噌かもしれませんが、明治期については地籍図をうまく利用できればなあ、と感じましたし、そもそも「元禄二年堺大絵図」と明治期に作製された地籍図との比較などもあればもっと興味が持てるようには感じました。ただ、戦災で町中が焼け出され、戦後、全面的に区画整理が行われた堺市のような土地では明治の地籍図はあまり興味をもたれないのも致し方ないようには思います。
また報告の中で東京では江戸切絵図のような古地図を生かして重ね図をつくったり、GISに取り込んだりして、例えば観光に役立てているといった事例が最近出てきていますが、関西はそれが進んでいない、その理由はなんだろうか、といった問題提起もありました。
その原因の一つとして、デジタルの世界では昨今「オープン化」が叫ばれていますが、地図や古い空中写真になどは公開の際にどうしても不動産にまつわる紛争がらみの問題があって、二の足が踏めない状況があります。もっとも端的な例としては土地境界争いの火種になる、もしくは既に境界争いがおこっている場合にはその証明資料として過度な利用の恐れがある、といった事例があげられます。
ただ、こうした問題があるからといって、本来は人類共通の財産でもあるはずの歴史的な史資料が埋もれてしまっては本末転倒ではないか、とも思います。個人的には不動産関連(土地境界)の紛争を避けるために、古地図の公開に際しては、例えば土地家屋調査士会に依頼し、そこでオーソライズして、公開後のリスクヘッジをしていただく、といったこともいいのではないかと思います。史資料を扱う機関や学芸員さんも土地家屋調査士のような専門家にワンクッションおいてもらうことにより、随分と公開に向けての負担感が楽になるでしょう。逆に、土地家屋調査士としてみれば土地境界の専門家としての役割を果たすことで社会貢献につながりますし、効果的な制度PRにもなるのではないかと感じました。もっとも土地家屋調査士側からすれば、古地図などの史資料を正しく判定できる能力が求められる訳ではありますが、これは滋賀県土地家屋調査士会でいえば法25条2項委員会のような部門で扱っていくことが妥当なのでしょうね。
とにかく、土地家屋調査士のもつ知見を生かして地域振興や地域研究に少しでもお役立ちできるのなら、それに勝るものはないわけで、デジタル時代ならではの「アナログ的な社会貢献」(古地図の判定という意味で)について今後も模索していきたいと思います。
なお、今回の研究集会の会場は堺市にあります「さかい利晶の杜」という、恐らくですが堺市出身の歴史上の有名人である千利休と与謝野晶子のそれぞれから一文字をとった、新しくきれいな建物の一室でした。千利休屋敷跡も隣にあるなど、なかなか素晴らしい立地でもあり、与謝野晶子とつながりのある織田作之助企画展「堺のオダサク~「夫婦善哉」が生まれたまち・堺~」も往時の生活が資料から追体験できるもので、とてもよかったです。与謝野晶子が12人の子に恵まれたとは、初めて知りました。激しい恋愛の上、与謝野鉄幹と結ばれた女流作家であることは知っていましたが、結ばれたのちも、仕事だけではなく、子だくさんの幸せな生涯を送った女性だったのですね。