先日、とある週刊誌をパラパラめくっておりましたら本書の書評が掲載されており、興味をもった一冊です。著者は経歴を拝見しますと建築系のご出身のようですが現在は明治大学文学部日本史学専攻の准教授で、専ら都市史を専門にされておられるようですね。
当初興味をもったのは本書第六章「謎の新地主をめぐって―薩摩藩邸・教育所・小義社」の第一節、「いわくつきの土地と謎の新地主」のうち第一項で「地籍図をてがかりに」ということで、とりあえずこの箇所を読んでみようと思ったわけです。
しかし本書を読み進めますと、「明治維新」とは何であったかを空間的なアプローチから解き明かす手法と「明治維新」を通して日本の近現代社会の成り立ちや特徴に迫る内容に大変感銘を受けました。特に空間的なアプローチとしては地籍図をはじめとして図を多用されており、図を読むことによって都市空間を把握するだけでなく、統治機構の再編の内実にも迫られていると思いました。江戸の都市空間の過半を占めていた武家地に代表される空間的資産の処分を通じて遷都を遂行した過程は興味深いものでした。
本書の特徴として、「明治元年」(明治維新)を身分制度が廃止された明治4年半ばまでの時期をもって明治「元年」と捉えられています。なぜなら身分制と土地利用区分が一体的であったからです。身分制と土地利用区分の関係しているなんて、今日ではイメージが湧きませんが近世は一応は明確な区分があったわけで、例えば武士の間でも上級武士の居住域と、下級武士の居住域がちゃんと分けられていたわけで、身分制と不動産は不可分なものでした。
さらに明治元年を重視しつつも江戸―東京における明治維新の直接の衝撃を1880年代後半(明治20年初頭)までとみなし、そこまでの幅を持つ時期として維新期を捉えられています。
そして、このタイムスパンの存在が今日われわれの知るところの「東京」の祖型となったと指摘されています。
本書第4章第1節では「桑茶令とは何か」と題して、第5章まで併せて明治初年の桑茶令についてその具体的を挙げられて解説がなされています。私も随分昔ですが土地家屋調査士の業務で彦根城近くの元武家屋敷と思しき地域内(住宅街)で地目が「畑」となっている土地について地目変更登記のご相談をお受けした記憶があります。その時は桑茶令のことは全く知りませんでしたので、「なんでこんな江戸時代からの住宅地に畑地があるのだろう?」と疑問には思いました。彦根も近世を通じて武家の割合はかなり高かったと推測しますが、当時荒れかけていた武家屋敷を一斉に桑畑に転用したのでしょう。
本書は東京の事例ですが、宅地に桑や茶を植えるという、ややもすれば素っ頓狂にも思える政策の背景がよく理解できました。明治6年段階で武家地から農地へ転用された総面積は102万5207坪にのぼったとのことで、かなり広大な面積が転用されたわけです。また明治の実測図などによると近世時代の武家屋敷から桑や茶畑に転用され、そこから水田となり、さらに花街へと目まぐるしく変転した地域もあるとのことでした。
ただ面白いのは桑茶令を実行した張本人、当時の東京府知事であった大木喬任はのちに振り返って「荒れ屋敷へ桑茶を植え付けて殖産興業の道を開こうと思った。今から思うと馬鹿な考えで、桑田変じて海となる、と云うことはあるが、都会変じて桑田となると云うのだから、確かに己の大失敗であった」と述べているようです。まあ、混乱期にはこうした試行錯誤は付き物といったところでしょうか。
本書全体を通じてとても知的な刺激を受けましたので、一つ一つを上げるときりがないのですが、中でも本書の終章にて2018年のいわゆる「明治150年」事業について著書から感想が述べられおり、大変印象に残りました。この「明治150年事業」、明治維新という出来事を日本の近代国家への第一歩として、もっぱら輝かしい過去として記憶させようという意図があるように感じられましたが、著者が指摘するように学問的な検証には基づかない、実体として浅薄な発想のように思います。ただそれは著者が指摘されているように維新期に(本書の指摘によれば数年~数十年の幅を持つのであろう)に関する研究蓄積が薄いことにその遠因があるともいえます。それは個人的にも地籍図に関する研究一つをもってしても思い当たる節がありますが、終章に著者が述べられた思いは個人的には大いに頷けるものでありました。