現在、不動産取引に際しては「登記識別情報」が必要ですが、2005年の不動産登記法改正以前は「権利証」が必要でした。では権利証ができる前は何で不動産取引をしていたかといえば明治初期に発行された「地券」でした。
「地券」といっても実際には二種類のものが発行されています。一つは明治5年に発行された「壬申地券」です。これは地籍図(壬申地券字引絵図)と対となるもので、土地の私有が公に認められたことを受けて、それ以前も都市部では発行されていた「沽券」の制度を真似て作られました。そして明治8年、地租改正の進捗に合わせて全国的に様式を統一させた「改正地券」が発行されます。改正地券は壬申地券が和紙であったのに対し、比較的上質な用紙に二色刷りで発行されており、保管状況も比較的良好です。従って今日「地券」といえばほぼ見つかるものは改正地券であり、インターネットのオークションサイト等でも出品件数は多いです。
今回ご紹介させていただく地券も偶々入手したものですが、改正地券です。現在の滋賀県長浜市郷野地区の土地の所有を証明すべく発行されたものです。
券面表側の右上には「明治8年」とスタンプが押されていることからも改正地券であると判断できますが、この地券は明治11年に発行されています。その前年にはそれまで地租が3%とされていたものが、有名な伊勢暴動により2.5%に引き下げられます。教科書にも「竹槍でドンと突き出す二分五厘」と掲載されていることからご記憶の方も多いと思いますが、当時の政策変更の痕跡がこうして地券にも残っているわけですね。
裏面には印刷でこの地券の性格について汎用のものですが説明書きがなされていますので、下に整理しておきます。この説明書きを素直に受け取ると、国外に転出した日本人はその時点で土地の所有権を失ってしまいます。外国との距離が今とは違うとはいうものの、恐ろしいルールです。
「日本帝國ノ人民土地ヲ所有スルモノハ必ラス此券状ヲ有スヘシ
日本帝國外ノ人民ハ此土地ヲ所有スルノ権利ナキ者トス故ニ何等ノ事由アルトモ日本政府ハ地主即チ
名前人ノ所有ト認ムヘシ
日本人民ノ此券状ヲ有スルモノハ其土地ヲ適意ニ所用シ又ハ土地ヲ所有シ得ヘキ権利アル者ニ売買譲
渡質入書入スルコトヲ得ヘシ
売買譲渡質入書入等ヲナサントスルモノハ渾テ其規則ヲ遵守スヘシ若シ其規則ニ因ラスシテ此券状ヲ
有スルトモ其権利ヲ得サルモノトス」
また、偶々ですが表面記載の持主は氏名から女性と推測しますが、当時女性も地主となる権利を有していたこと、裏面で家督相続により、おそらくは息子と思しき方に所有権が移動したことが確認できます。
当時の民衆は、地券を受け取った際はどんな気持ちだったのでしょうか。おそらく現代人にはわからない程の感激を覚えたのではないかと推測します。
現代では地券は完全に法的根拠を失い、不動産取引に際しても何の証明力もありませんが、明治の近代土地所有の黎明期の証として、当時の社会に思いを馳せてみるには大変興味深い史料であると思います。