折しも今日は大人気ドラマ「半沢直樹」の最終回が放映されますが、半沢直樹と言えば「やられたらやり返す、倍返しだ!」の決め言葉が夙に知られていることは言うまでもないことです。その半沢直樹的世界観からは程遠いといいますか、真逆の「徳政令」について書かれた本が今回取り上げる「徳政令-なぜ借金は返さなければならないのか― (講談社現代新書)」早島大祐著です。
「徳政令」、歴史の教科書にもでてきますからご存じの方は多いでしょうが、学生時代には「借金がチャラになるならいいな」、とか「そもそも金貸しが暴利をむさぼっているから貸していた方が悪いんだ」みたいな程度で理解しておられる方が多いでしょうし、私も当然そんな感じでいました。
ただ私の場合、その後の就職先が金融機関、要は「金貸し」となった関係でやや微妙な思いもありましたが、これはあくまで中世のお話、現代においては「借りたら返す、当たり前でしょ」という普通?の思考で、それ以上には深く考えずにいました。
本書においては徳政令、徳政の実態の変遷を追うとともに、お金を貸す側(土倉)の事情や、実際の防衛手段について詳しく書かれており、今さらながらわが国の金融の歴史について学ぶことができました。紹介されていました貸し手側のデフォルトへの工夫として土地の売買に見せかけてお金を貸す手法などは少し見方を変えてみれば現代でもありそうな話ですし、畿内では既に中世においても想像以上に信用創造機能が機能していたことも理解できました。その辺の根底には大寺院(近江では延暦寺など)の存在があり、トラブルに際しては双方が正義をかざして戦い、慣習(社会)が法が飲み込むという言うなかなかダイナミックな動きがあったことが理解できました。
そして、借りたお金を返す返さない、という命題についてですが、本書を読んでの私なりの理解ですが中世以前は人や徳によって統治されていた社会が、近世に入り法度によって統治されるように変化した、徳政とはその徳によるマツリゴトの限界を統治者自らが暴露した「不思議の法」に他ならないのではないか、ということです。
現下のわが国の金融の話題はドラマでは半沢直樹ですが、リアルの世界では新内閣の下で地域金融機関の再編などが進みそうな気配もします。私の仕事柄でも不動産や金融の問題はかかわりが深いわけですが、今後の社会の動向もこうした過去もふまえて俯瞰すると、違った世界観が見えてくるような気がしました。