最近、お仕事の関係で高校時代の恩師宅に頻繁に通っています。恩師宅と言っても、長浜市内では知らない方がいないくらいの有名寺院なのですが、境内も広く、なかば森林化しており、測量に骨が折れます…。
先日、瀬戸内寂聴さんが亡くなられましたが、追悼番組を見ていて、かつてその恩師が、どういう訳か授業の際に述べられた呟きに似た一言を思い出しました。たしか「あんな(ふしだらな瀬戸内晴美のような)方が僧籍に入るなんて…」といった感じの、軽口程度のものであったと思います。間違いなくご本人も記憶はないと思うのですが、ふとした拍子にそんな一言を今更ながら、思い出しました。
私自身、瀬戸内寂聴さんの書いたものを読んだこともなく、テレビで取り上げられる人となりをうかがう程度ですので、恩師の発言の真意はわからないのかもしれません。ただ、改めて思うに、当時恩師が(僧籍であることも知りませんでした)呟いた言葉の含意が理解できるようになったような気もします。
「瀬戸内寂聴」はおそらく多くの方の反対鏡、文才も、恋も、たとえ願っても、実際に皆が皆できる生き方をされた方ではありません。ただ、その存在は多くの方の魂を救ったと言っては言い過ぎかもしれませんが、「生きる」ということの多様性、意味を掘り下げてくれた人生であったのだろうと思います。
もう既に30年以上も経ちますが、瀬戸内寂聴さんにあえて触れた恩師の言葉について思いをはせるこの頃でした。