前回も「小牧地区土地宝典(地番地積地目入図)」について見てきましたが、今回は土地宝典の内容について少々触れていきたいと思います。読み解くガイドは引き続き大羅陽一「土地宝典の作成経緯とその資料的有効性」です。
冒頭の画像は土地宝典のなかで、小牧地区の地籍を写し取った箇所となります。右上の字八幡前に属する広い区画の一帯は小牧山城となります。中心部分の区画はおそらく模擬天守が現在存するあたりと思われます。小牧山城は城郭と言っても織田信長が築城し、小牧長久手の戦い以降は特段使用されていなかったと思うのですが比較的斜面も急ですので近世を通じて農地などに転用され、細かく細分化さることはなかった様子が地図からうかがえます。
なお、字が大変細かいのですが地番と面積、地目(凡例)が一筆ごとに記載されています。また小学校や警察署などの官公庁なども名称がそれぞれ記載されています
上記の地図では着色箇所と非着色箇所がぱっくり分かれています。左が市街化区域、右が市街化調整区域ということになります。大羅氏によると着色を施した土地宝典は少なくないようですが、市街化区域を着色するあたり、本書の利用目的が垣間見えると思います。
なお図の左には昭和43年に開通した東名高速道路が描かれています。また、全体的に土地の区画が整形ですので愛知県に多い、早い時期から耕地整理事業などが行われた典型的な地域だと思います(これが滋賀県なら戦後の圃場整備区域が市街化区域に指定されるようなことは絶対にありません)。
最後に凡例と縮尺を見ていきます。大羅氏によれば帝国市町村地図刊行会の土地宝典は全図の縮尺が1/5000~1/10000とありますが、今回の資料は全図に縮尺の記載はありませんので不明です。切図は上にあるように全てが1/2400で統一されていました。公図の縮尺が大凡1/600とされていますので、それを1/4にして、切図を描いたということであれば、合点がいきます。
また宅地の表現が建物の屋根を描いた独特の絵柄となっています。これは大羅氏も論文の中で「相模原市教育委員会保管の『地租改正ニ付地引絵図面作成雛形』(明治 7年〉にも,宅地を○(屋根の形状)をもって図示することを指示したものがある」と指摘されています。帝国市町村地図刊行会は本社が神奈川県にあるようですし、そういった点からもうなづけるものです。
過去に私も宅地について同じ表現をしたものを関東地区の和紙公図で拝見したことがありますが、関西では見たことはありません。凡例は関東風?とでも言ったところでしょうか。